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2010-12-29 20:00 | カテゴリ:南條 孝の日記
ジャンル:株式・投資・マネー テーマ:日記
皆様こんにちは。

南條孝地獄の黙示録本編いよいよ登場です

私の若いころの大成功の話を前回まで書きました。

ブログサイドバーに「南條孝の日記」としてカテゴリーわけしておりますのでご覧くださいませ。



私は手形割引の天才だ! 

この調子で行けば、日本一の金持ちになるな!!

と大成功を収めた事業でしたが、30歳で子供達が同級生にお前のお父さんが「高利貸し」とからかわれることを予想し、回避する為にキッパリ止めました

その後、社員の紹介で元西日本銀行の融資課長「U」を、社員にと紹介されました

手形割引は、当時儲かるビジネスだったので、あきらめが出来なくて、その「U」に大阪の心斎橋に事務所を構えて任せ、私は、大阪の本町(東京で言えば丸の内)に本社機能を設立しました。

交通の便が良いので、毎日、お金儲け目的で予約なしで、10人位色んな儲け話を持込んできました。

要は、金を出せと言うことなのです。インチキな情報がほとんどです

毎日、予約無しで、社長室の隣りの待合室に座っていました。

私がトイレに行く時に私に向ける視線は、私を秘書か、こま使いのように感じているのがわかりましました



生き地獄の話

元西日本銀行の融資課長、に手形割引を任せて半年。

奴の悪智恵で、融通手形ばかりを割り引いておりました

それが大失敗の始まり。

元、銀行の融資課長という肩書きで社員を信用するという私のバカさ、松下幸之助の本を読み「社員を信じて任せる」と勉強し間違って解釈して、本心とは別に無理やりに信じる事にしました

直感的には、悪い予感がして、とても心配でした。

やはり、融通手形ばかり、割引していました

社内の身内の犯行は、いつも損金額の

金額がとても大きいのです


僅か半年で、3億円が不良債権です。

明治の日本で最初の紡績でカネボウの3代目、武藤一治が  の融通手形を割引の下請け(銀行と同じ)をしていたのです。

(カネボウは初代は武藤山冶。2代目は武藤糸冶。三代目は、武藤一冶、です。初代は当時明治時代に福澤諭吉に教えを受けて、日本一の大金持のメーカーになったのです。)

そこで、同じ大学の先輩でしたので三代目の武藤一冶にTELしました

彼は怒ってお前は、後輩でもない、関係ない」と怒っていました


私はこの罵声で「絶対、武藤一治に勝つぞ」と単純に考えました。

武藤一冶は、明治の大金持ち武藤山治の大邸宅、松下幸之助の自宅のすぐ近くの自宅を、中国人の医者に取られました。

いわいる、御坊ちゃまです

金持ちは三代続かない、と世間で言われている話は本当だなと思いました。



私は銀行を下請けにしていて、手形の期日までに銀行に丸代金を入金しなければなりません。

現在のデフレ時代に換算すると、

この金額では30億円位の損失に相当します。


とても大きな金額です。まさに、地獄の始まりです

私の会社の倒産は、ほぼ確実になりました。

そこで、まず、です。



金の価格が上昇してきました。

そこで1キロ、70万で買った金の「インゴッド」を、裏庭の地中の中に埋めた中国製の大きな瓶に入れていた金を掘り出し、金相場で250万円になってから相場を毎日見て、1キロずつ売り上がり最高1KG500万円で売り抜けました

この金の利益で、3億円の不良債権分の穴埋めができたのです

私の「地獄状態」を知らない「下請けの会社の社長」が、お金を貸して欲しいとのことで、南條は大阪流で「ええかっこし」で、やむなく貸す為にさらに金を売りました。

その時は手形割引をやっていませんから無利子で貸しました。

勿論、金利は今の日本銀行と同じでゼロ金利、その後は金が上昇しまして1キロ600万円以上になりましたが、私は香港でゴルフをしていて金は現物取引なので、最高値では田中貴金属に持込まなければ売れなかったのです。



当時、毎日が「地獄の黙示録」でした

「夜も眠れない地獄の日々」が何ヶ月も続きました

まさに、最近「矢沢永吉」がよく話しているオーストラリアで、片腕の社員(内部犯行)で地獄を6ヶ月間悩んで毎日酒を飲み、どうにでにもなれと言った心境と同じだなあ!と感じています。

「矢沢の店」、ダイアモンドムーンは、赤坂の高橋是清の公園の近くにあります。

いつも、この「地獄の話し」のビデオをスクリーンに矢沢の歌と共に流しています



下請けさした「手形の再割した手形」の買戻しのお金を全額を用意が出来た時点で、メイン銀行の支店長に交渉しました。

彼の顔は、みるみるうちに、真っ青になってしまいました

支店長は10社あれば、9社倒産、100社あれば、99社、倒産すると、南條に脅をかけてきました

やはり銀行は、晴れの日は傘を貸し、雨の日は傘を返せと、まさに世間で言われているその通りです。



当時のカネボウは化粧品が順調で儲かっていたので、大阪府警と新聞社に弁護士を通じお金を渡して各新聞会社を押え込みました。

大阪府警に呼ばれた南條は、気が立っていましたので、大声で怒鳴って、話をしました。

担当の刑事は、「済みません、南條さん、小声で小さく喋ってください。この部屋の外の廊下には、各社の新聞記者が耳をダンボで聞いていますから!」



そのお陰で、一流新聞に三面のトップ記事に我社が出ませんでした。

カネボウのお陰で、私の会社の倉庫業も悪い影響は受けませんでした。



そこで私は「強運」だと、思いました。

その後株の取引でも大儲け、自然に「池辺雪子」先生セミナーのピラミツッティングが偶然、出来ていました。


私の人生は地獄極楽も何度もあり、開き直ったら必ず、復活祭が何度も訪れます

開き直る、とは背水の陣ですね。

思い返せばこの内部犯行による地獄での背水の陣は、あの武藤一治から罵声を浴びて「絶対、武藤一治に勝つぞ」と単純に考えたあの時でしたね。

次の話は、話すと1週間位続きそうです。なんとかまとめてみたいと思います。

次回の南條孝の日記をお楽しみに!










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