2013-08-20 11:30 | カテゴリ:南條 孝の日記
ジャンル:株式・投資・マネー テーマ:FX(外国為替証拠金取引)
お久振り、南條です。

ようやく私の会社の決算も無事すみ、

また、筆を執らせて頂きます。



さて、秘密結社の代表格であるフリーメイスンは、ベルリン大学の受験に失敗し失意の

底にいたヤダヤ人のマルクスに目をつけ共産主義の思想・善玉、悪玉論でマルクス主義を

出筆させました。

勿論、資本主義、自由主義に於いてはフリーメイスン達が成功していて問題は、皇帝など

独裁者にはユダヤ人たちは迫害を受けていましたので、共産革命などを大衆を煽動して

独裁者を倒しだしたのです。



もともと、ユダヤの民やフリーメイスンは商売や貿易、金融などに強く、その時々に

ヨーロッパ大陸のどの国にユダヤの民が多く住んだ国がとても栄えたのです。

ユダヤ人がスペイン、ポルトガルに沢山住んでいると、新大陸の発見や大航海時代で

とても栄え、また、ベルギー、オランダに多く住むと、チューリップバブルや

ダイアモンドの加工や取扱い、

イギリスに移ると、産業革命から7つの海を支配するようになり、アメリカ大陸の北部

(後のアメリカ合衆国)など多くの植民地を持つようにいたります。

イギリスのユダヤ人のロスチャイルド(金融王)がハトを使って英国とフランスの戦争の

結果を早く知って大儲けをした、のは有名ですよね。



やがてユダヤ人はどんどん新大陸(アメリカ合衆国の前身)に移住し始めました。

そして、フリーメイスンが中心になって、トーマスジェファーソンに独立宣言を書かせ

初代大統領にワシントンを選出しました。

ご存じのようにアメリカ合衆国は移民の国で人口を増やしてきました。

その人類のるつぼ、と言われるアメリカを上手くまとめて管理しているのがフリーメイソンです。

最後にマンとついているのは、ユダヤ人です

例えば、日本に原爆を落としたトルーマンなど。



またルーズベルト大統領はユダヤ人でユダヤの民からは(シオンのプロトコールに書かれている、

われらの王、)大変期待をされましたのですが、残念ながら違っていました。

彼らの考えはユダヤ人達にとって都合がわるければ、その国の隣の国から戦争を仕掛けさせ、

うまく行かないときは他の国で利害が合わない国に戦争を起こさせる、と言う思想です。

日本が戦争中に○○中将の秘書をしていた女性(○○清子)が私の立場でこんな凄いこと

をもっと知りたいし、記録に残さねばと○○中将と結婚をしてなで入手した情報を戦後、

○○清子女史が書いた本が出版されました。

そこには、上海にあった極東最大の財閥である、サッスーン財閥の地下の会議室で

其処にはフリーメイスンの儀式を行う神聖な場所で、アインシュタイン博士が日本に

行ってきた、そこで世界一、頭のいい学者がやってきたと日本全国で日本人に大歓迎

された、そして私(アインシュタイン)は日本の強いところ、弱点など、すべてを観て

きた、話、そこで日本を占領する会議が行われた。



数年後、日本にB29から焼夷弾(木造住宅)、やがて、原子爆弾が二発も落とされて

しまった。



次回は日本とフリーメイスンとの関係(伊勢神宮のダビデの星の灯篭)や幕末

明治、ゾルゲ事件、江戸、明治、満州、ゾルゲ事件、昭和、戦中、戦後、冷戦、日本のバブル崩壊

リーマンショック、等、トレードの長期的な見方などをユダヤ人とのかかわり合いがあるという事をお話しましょう。
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2013-08-08 15:38 | カテゴリ:日英文化比較
>>第1回から読む

「イギリスは、とくにカントリーサイド (田舎) が美しい」 と言いふるされてきました。この “カントリーサイド” でも、日本の旅行者に人気があるのは、ロンドンから北西に40マイル、60キロのオックスフォードからコッツヲォルド地方、さらに北へ、シェクスピアが、恋人のアン・ハザウェイと暮らしていたストラットフォード・アポン・エイボンあたりか、せめてサマーセットあたりまでであります。

 イギリスでは、古くから童話や物語、たとえば、赤ずきんちゃんとか、ロビンフッドなどでは、なぜか豚と狼がよくでてきて、舞台はいつも深い森であります。マクベスなどもいい例です。

  実は英国は、中世まで森林の国だったからなのです。古代から数百年前まで、ヨーロッパでも有数の深い森、原生林にイギリス全土がおおわれていたのです。

いまテレビの映像などで紹介されている英国の、美しいカントリーサイドの自然の眺望、一年中真冬でも緑の芝生におおわれた牧場やヴィレッジをとりまく森や林は、ほとんどが、後世に人の手で再生された人口美なのであります。

 英国は国土の面積が日本の60%、人口は日本の半分ですが、国土の80%が平地、20%が高地、日本の逆であります。高地といっても、1500メートル以上の山もなく、ほとんどなだらかな地形で、河川もゆるやかに蛇行している。居住可能の有効地が日本の約2.5倍、人口密度でいうと、日本の5分の1。だから日本と同じ狭い島国ながら居住区がゆったりとして、建て込んでいないのです。

 狩猟時代から1000年前まで、人々は森とともに生活していて、森林は自然に再生される資源でした。スコットランド地方などでは、燃料として石炭や、ピート、泥炭をつかい、建築用の石材にも恵まれていたので、材木は重要資源ではなかった。

 有史以来、ストーンヘンジに象徴される石の文化のケルト民族が、5、6世紀になってドイツの山岳民族のアングロと、サクソンの両民族に征服され、木材文化が主流になった。

 高校のころ、世界史で習った “ エンクロージャー (いわゆる、囲い込み運動) ” が16世紀から始まりました。羊を飼うために公有地・未開墾地を私有化しました。すなわち、大地主、ジェントリーやナイト (騎士団) の起源です。

 樫の木などナラの木の種類を主とする原生林のなかで、ドングリを飼料とした養豚から、森林を伐採し、低い樹木を組んだり、石を積んで囲いこんで、広い牧場の開発が低地部からすすみました。

 これが、英国の北部の地方では低い石垣の境界線となった。デヴォンなどの南西部では、狭いカントリーロードの両側から迫ってくる、2、3メートルの高さのヘッジ、分厚い柴垣となりました。古いものでは4、500年も前からある英国特有の私有地の境界線です。狼と豚の森から、羊の牧場へ移行したのであります。

 その結果、羊毛が増産され、毛織物産業が発達しました。高品質のウールと、合理化がすすんだ英国の牧畜業はヨーロッパを席巻したのです。今でもEUにおいて、イギリスの畜産業の競争力は、群を抜いています。

 つづいて、西暦1600~1800年、産業改革期をはさんで、中世からの原生森林の4分の3が失われ、さらに減少した。とうとうイギリスでは、熊も狼も絶滅してしまいました。

 それでは、再生された自然──すなわち、現在のたいへんに豊かな野生の動植物の生息環境は、一体どのようにして造りあげられたのでしょう。伐採したあとの代替植林の最古の記録は、1759年で、20世紀にはいってから、やっと計画的な森林保全の方策がとられるようになったのです。

 100年前に “ナショナル・トラスト” という民間の自然保護団体ができました。いまでは、世界に類例がないほど大規模な組織となり、200万人の会員に支えられ、6000人の職員が働いています。

 たとえば、イングランドの北部、Lake District、湖水地方を舞台にした大ベストセラーの著者、ベアトリックス・ポッターも、1900年に 『ピーター・ラビット物語』 の多額の印税を寄付し、財団の基礎づくりに貢献しました。

 ロンドン郊外にあるキュー・ガーデンで有名な王立植物研究所も中心となり、自然破壊の張本人の牧場主たちや、貴族や、政府機関も、こぞって、森林や自然環境の回復と、あわせて歴史的遺産の保全維持につとめてきました。

 けれども、いま、あれほど美しく豊かに見えるイギリスのカントリーサイドの風景ですが、現在、英国の森林地帯の全面積は、国土全体のたった7%に過ぎません。しかも、古代から現存している原生林は、国土のたった1%残っているだけなのです。100年前から多大な努力を重ねてきても、いったん破壊してしまった自然や森林は、回復、再生、復活することは、それほどに困難なことであります。

 イギリスには“モア”、あるいは“モアランド”とよばれる場所がいくつもあります。エミリー・ブロンテの 『嵐が丘』 Wuthering Heights の舞台にもなったのは、イギリスの北部、ヨークシャーにある、このイギリス独特のモアです。

 モアあるいは、モアランドは、小説の翻訳や、英和辞書をひくと、「荒れ地、ヒースの生えた排水の悪い高原地帯」などと訳されています。が、実は、丘陵と台地からなる広大な湿地帯で、いくつもの緑の原野が集まっていて、灌木と渓流と小さな湖水とからなり、あちらこちら丘陵の頂上には “トォ” とよばれる花崗岩の巨石が重なりモニュメントのように露出して、モア特有の高地を形づくっています。野生のポニーや、羊が放牧されています。ほとんどのモアランドには大きな川の源流があります。

 イングランドやスコットランドのあちらこちらにある、これらの広大なモアも、かつては、有史以前から巨木が繁っていた深い原生森林でした。が、豊富な水源だったので、樹木を伐採した後は、湿地帯に変わってしまい、植林しても苗木がしっかり根付かないで、いわゆるモアランドになってしまった。その代表的なものが、ダートモア国立公園です。ロンドンから南西約400キロ、デヴォンシャーの中央に位置しています。

 イングランドの南西部のこの地方は、“ローリング・ウェスト” とよばれ、丘陵や台地が高く低くうねっていて、風景はコッツヲォルド地方あたりのように平坦ではない。

 美しいダートモアは、海抜700㍍、面積1,000平方㎞、周囲130㎞のまさに、ローリング・ウェストの広大な高地であります。

 リバー・ダート、ダート川は、このダートモアの高地の中心を水源として、河口の町、ダートマスまで、たった40㎞ほど、さまざまな峡谷をへて流れくだる。水量は豊かながら、ごく短い川なのです。リバー・ダートの河口、ダート・マウス、すなわちダートマスは、海軍兵学校があるので有名です。

 わたしが10年来かかわってきた小さな村は、ダートマスの河口から10㎞ほど上流にあります。このあたりでリバー・ダートが蛇行しはじめ、美しい入江に面した丘に広がる人口1500人のかわいいヴィレッジです。この村は、30年も前に、この地域のカウンシルによって、特別風致保存地区に指定されてから、住宅の新築が許されないので、ほとんど人口がふえていません。

 実は、イギリス人でさえ、そんなイングランドの西の果てのこのあたりに、それほどスケールの大きい、起伏に富んだ素晴らしい景色と、しかも、たいへんに人柄がいい住民が住んでいるカントリーサイドがあることなど、想像できない人が多いのです。

 なにしろ村には街灯がありません。街灯をつけると、ヴィレッジの夜空に輝く満天の星の美しい夜景を損なう、という理由からです。この申し合わせにより、平和な村の夜道を、村人たちは昔ながら、トーチをもって歩いております。

 大袈裟なスローガンを掲げたり、村には取り立てて条令などはありません。けれど、ひとりひとりが、自然環境を保全し、野生生物を保護して、素朴な “エコ・ヴィレッジ” とする何気ない地道な努力をしてきた。

 誰もが生き甲斐を実感でき、失われつつある人間性の再生回復がはかれる。お互いに無理なく助け合い奉仕しあって、それぞれが自らのベストを尽くして責任を果たし、楽しさを分かちあう。多彩な趣味を通じ、幅広い文化交流とエコロジーとが調和している。地味で目立たない“小さなユートピア”に近いコミュニティーといえるかもしれません。

 デヴォンシャー南部のこの一帯は、イギリスで最も温暖な気候に恵まれていて、リンゴなど果物がよく実るのです。アップルサイダーは、アルコールが15、6%もあるかなり強いリンゴ酒です。昔から、アップルサイダーと、サーモンがこの村の名産でした。いまでも、鮭が産卵のためリバー・ダートを遡ってきます。この村の入江が鮭網漁の中心なのです。けれども、鮭網漁は、古くからの5軒のファミリーだけに許され、資源保存のために漁をしていい期間と時間まで厳しく守られています。

 このあたりの緯度は、北海道よりさらに北、樺太あたりに位置しますが、メキシコ暖流がイギリスの南端にぶつかり、ちょうどイギリスの本土を包むようにして北海に抜けていく。それゆえ、厳冬期でさえも、イギリス海峡とドーヴァー海峡の南側に横たわるヨーロッパ大陸の国々とくらべ、よほど温暖なのであります。

 これに目をつけて、早くも5、6世紀には、北ドイツの山岳地帯からサクソン部族が侵攻してきて、ケルト人など先住民族を追いだして住みついてしまったのです。だから、アングロ・サクソン民族の血のなかには、海賊としてきわめて優れた遺伝子が継承され、大英帝国として後世に名を残すことになったにちがいありません。

 村の中央、丘のてっぺんには旧い教会がたっていて、美しい入江に影をおとしています。1066年、ノルマン・コンクェストのウィリアム征服王として有名な、現イギリス王室の初代の国王が、ヘイスティングの戦いで、イングランドのハロルド王を破った。そのときには、すでにこの教会堂のチャーチタワーはあったのです。

 この教会堂の四角い塔は、それよりはるか昔、9世紀にサクソン族によって築かれた “サクソン・タワー” の簡素で荘重な特徴そのまま保っている。イギリスのほとんどの教会の塔は12世紀になってヨーロッパ大陸からきたカトリックの神父たちによって改装され、ゴシック様式の装飾がほどこされています。

 英国では、チャーチタワーといえば、パブがつきものです。デヴォン地方のこのあたりではどんな小さな村へいっても、教会の塔が見えたら、その隣りにはかならず “チャーチハウス・イン” とよぶパブがあります。むかし、教会を建てたとき、神父と石工と大工は、まず、チャーチハウスを建てて、そこに寝泊まりしながら10年も20年もかけて教会を築いたのであります。教会堂が完成したら、チャーチハウスを、宿屋、インにしたのです。新聞も電話もない昔は、村人にとってチャーチハウス・インにくる旅人は、貴重な情報源だったのです。

 人口たった1500人のこの村に、なんとパブが3軒も繁盛しており、この村の人たちは、みんな気がいい、酒好きばかりなのです。ヴィレッジャー、村人たちは、それぞれ贔屓があって、この村の大切な社交場で、いまでも情報の収集場所なのです。例のクラスシステムの階層ごとに、それぞれcomfortable 、いちばん居心地のいいパブに自分の居場所と好みのビールをきめるのです。

 さまざまな過去と、境遇の人びとが住む小さなコミュニティー。けれども、お互いにこれまでの経歴も、利害も関係がない。個々の人柄、人としての、それぞれの魅力だけがポイントとなる。いつも和気あいあい。酒がはいれば、他愛ないジョークと駄洒落をやたらにとばして、互いにからかいあい、無邪気に楽しむ。

 三井物産では海外勤務の注意事項に “政治と宗教の話はしないこと” がありました。けれども、今では、この村ではトニー・ブレアの話になると、わたしが意見を求められたりもします。意外なことに、チャーチハウスとパブの起源を知らない人も多いのです。日本人だからと、誰も人種などにこだわらない。パブでは政治談義も盛んで、談論風発、ときには、まさに落語の世界であります。

 話が盛り上がれば、地元勢のデヴォン・アクセントと、よそからきてこの村の虜になって住みついた人々のそれぞれ出身地の方言や訛、聞き慣れないスラングが激しくとびかう。はじめの頃はヴィレッジャー同士の会話の半分も消化できないで、お手あげでした。

 もちろん、わたしがからかわれることもありましたが、一体、何をからかわれているのかさえ分からないときもあったので、始末が悪いのです。けれども、そんなときには、隣の誰かが、きまって声をかけてくれます。
「気にはしていないだろうね。これがヴィレッジャーになった証拠なんだよ」と。

 人口1500人のこの村の半数の人々は、いわば “引退族” です。ロンドンからばかりでなく、イギリスのあちらこちらから移り住んでいる。定年後の高齢者ばかりではなく、年齢もさまざま、それぞれユニークな過去をもっている人が多いのです。

 イギリス伝統の海運業や銀行で働いていた人びと。アジアやアフリカなど、大英帝国の旧植民地だった国々で活躍していたいわゆるエクスパトリエット(海外へ出稼ぎの人)や、医者や学者だったひとも沢山います。すでに、若いE¬commerceの成功者まで流入してきました。その分、高齢者が、つぎつぎに、村の教会の裏にあって、美しい入り江をみおろす素敵な墓地の方へ移動するのであります。

 もともと、この村は国際感覚が豊かな土地柄だったのです。この村からほど近い海軍士官学校があるダートマスや、かつて、ノルマンディー侵攻、 “D ¬day” の基地となった大きな軍港、プリマスに勤務していた海軍の軍人たちが、そもそも住みつきはじめたのです。

 まるで隠れ里のように素朴な村ですが、ヨットやクルーザーをはじめ水のスポーツにも最適な村なのです。“移住者” に共通していることは、千年前から住んでいる地元の村人を心から尊敬し、大切にしてきたことです。

 地元育ちのヴィレッジャーも、その辺をよく心得ていて、コッテージの改装や補修工事、大工仕事、植木や塗装仕事など、一手に引き受け、安価なうえに、誠心誠意、移住してきたヴィレジャーたちの面倒をみてくれる。

 ヴィレッジャーたちは、クラスシステムの階層を越えて、まったく屈託のない好人物ばかり。村人は、きわめて友好的で、お互いに相手の人柄や人間的な魅力を引き出す努力をおしまない。

 わずかに1500人ながら、この村には、村民参加の趣味の団体が、25グループ以上もあります。

 美術クラブを例にとると、周囲の村落の住人もいれて会員350名。うち20名は、ほとんどプロの画家といえるほどの腕前です。高齢者も多いので200名ほどがアクティブ・メンバーであります。毎週、ヴィレッジ・ホールにおいて、3時間のワークショップ、制作実習会と合評会をおこなう。月1回会員が1点ずつ作品をもちより、夫婦同伴の展示会、兼、懇親パーティーをもよおし、みんなの投票で最優秀賞をきめて表彰します。さらに月1回、油彩、水彩、アクリル、パステルと画材ごとに著名な画家をよんで、デモンストレーション、指導をしてもらいます。

 年に1回、夏、カーニバル、村祭りの週に、各自3点もちよりヴィレッジ・ホールが一杯になるほどの、大展覧会を行なう。各種の賞が用意されています。各人が自分の絵に値段をつけて展示即売し、一部をクラブに寄贈してアート・クラブの活動資金とする。といった、徹底したクラブ活動がなされております。

 ほかにも、園芸、農芸、手芸、陶芸、演劇、詩作、ボート、料理やケーキづくりなど、それぞれプロの腕前の人が沢山います。

 夏は、各種の園遊会、ガーデン・パーティーが盛んにもよおされ、村の庭園自慢たちが、広い美しいイングリッシュ・ガーデンを開放して、チャーチの資金づくり、ヴィレッジ・スクールへ施設の寄贈などボランティア活動も活発です。英国の男たちは、徹底して飲みますから、毎回、腹をかかえるほど可笑しいことや、奇抜な出来事がおきて、そのたびに村の話題づくりにはことかきません。

 こんな小さな村でも、なんでも揃えた園芸センターが3カ所もあり、ほとんどの村人は、“グリーン・フィンガー”です。庭いじりに熱心な人をグリーン・フィンガーとよびます。いちど自然を破壊しつくしたイギリス人の末裔たちは、いま、一生懸命、先祖たちの償いをしており、ヴィレッジャーたちは、みな一流の園芸家です。

 高温・多湿ですぐに病気が発生する日本の夏は、イングリッシュ・ガーデンを造ったり、維持するのは大変に難しい。やはり、こまめに剪定が必要な伝統の日本庭園が、日本の気候にはあっている、とつくづく思います。

 たしかにイギリスは、適温多雨ながら、乾燥している気象条件、そのうえ、石灰質の豊かな土壌は、草花や樹木の生育に適していて、ちょっとした園芸技術さえ身につければ、安価で容易にイングリッシュ・ガーデンが造れるように、すべての環境が整っております。

 親しい仲間同士の何組かが、順繰りに夕食によびあい、おしゃべりするのがみんな大好きです。近ごろイギリスは、日本食ばやり、仲間からの希望が多い。村の近くのブリックサム漁港には、ごく新鮮な内海魚がいろいろあがり、信じられないほど安い。みんなの喜ぶ顔をみると、有能なハウス・ハズバンドだと褒められたいばっかりに、食材集めと、さまざまな日本料理の工夫に、ワイフと競ってつい張り切ってしまいます。村の仲間のハズバンドたちは、みんな料理が上手で、それぞれがワイフ顔負けの得意分野をもっており、ワイフたちは、みなオダテ上手であります。

 次の作品として、この小さなユートピアの村人との生活について、愉快で可笑しいエピソードを満載して、出来れば本格的なスケッチ入りでと、工夫いたしておりましたが、日本の未曾有の出版不況のため、いまだに本にすることができません。

  止むを得ず、もっぱら絵描きに専念しております。

  ご清聴ありがとうございました。

                                    (完)









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