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2013-08-08 15:35 | カテゴリ:日英文化比較
>>第1回から読む


 イギリスの上層階級をよぶ言い方には色々あります。 まず、 “posh” 。 この語源は、 “Portside out, Starboard home” 「往きは左舷、帰りは右舷」 を簡略にしたものですが、ビクトリア女王の時代、世界の七つの海を支配していた大英帝国華やかなりし頃、植民地の統治者である上層階級の人々は、アジアの任地へは、大型の汽船で往復していました。そのとき彼らの汽船の客室は、南洋の強い日差しを避けて、往路は、左側に港や陸地が見える側、すなわち “Portside (左舷)”、逆に帰は、 ”Starboard (右舷)” の船室に寝起きしたから、いつのまにか、上層階級を “Posh” とよぶようになりました。

 もうひとつの呼称は、 ”toff” です。現保守党政権の首相、デイビッド・キャメロンと大蔵大臣、ジョージ・オズボーンは、ともに名門のパブリックスクール(全寮制私立学校)であるイートン・コレッジのあと、オックスフォード大学を卒業。 現政権は、自由民主党との連立内閣で、副首相の自由民主党党首ニック・クレッグは、イートン・コッレッジとハロー・スクールにつづく名門校ウィンチェスター・コレッジからケンブリッジをでております。

 1721年の初代首相ロバート・ウォポール以来、現首相デイビッド・キャメロンまで、51名いる首相のほとんどは、イートン、ハローほか名門パブリックスクールから、オックスブリッジの卒業生です──すなわち、イートン・コレッジ卒業が19名、ハロー・スクール卒が7名、その他の名門パブリック・スクール8校から1名ずつ合計34名。ただし、主に18世紀の首相のうち8名は爵位が高い貴族で、個人教授による手厚い教育を受けている。残る首相の中等教育は、他の私立学校が2名、普通の公立学校が6名、不明が2名となっています。
さらに高等教育は、オックスフォードが21名、ケンブリッジが10名、その他の大学が3名、陸軍士官学校が2名、個人教授の貴族が9名、高等教育を受けなかったのが5名、不明が2名となっている。

 上流階級の人々を新聞紙上などでは、”toff” とよんでおり、世間ではそれらの人々に支配されることに、あまり抵抗することなく、社会的に不平等……生い立ちによるハンディキャップの結果だ、などと疑問視したり強く批判したりすることがなく受け入れています。

  戦後、労働運動が激しくなった1970年代には、労働組合出身の首相がでたり、また、リンカンシャーにある片田舎の町、グランサムの雑貨屋の娘、マーガレット・サッチャーは、これら toff を保守党内閣の閣僚から次々に追い出し、自分の後継者には、あえてサーカスのブランコ乗りの息子で、中等高等学校中退のジョン・メイジャーを選びました。 さらに、1997年、新生労働党として躍り出たトニー・ブレアは、ごく低い階層出身の野心的な父親に育てられ、スコットランドにあるパブリックスクールからオックスフォード出の、労働党としては異色の首相として、様々な改革を行い、10年間政権を維持しましたが、後継者のエディンバラ大学出身のゴードン・ブラウンが、無能だったため、2010年に、政権は再び、toff の手にもどり、保守党デイビッド・キャメロンに政権を奪取、労働党は衰退を余儀なくされています。

  労働党がすっかり落ちぶれたため、保守党政権は、現在、きわめて安泰であります。保守党には、有名なパブリックスクールからオックス・ブリッジ出身の若い予備軍が控えて、次の出番を待っているのです。

  12世紀に設立されたオックスブリッジは、歴代の国王や女王の勅許状を得てできた 『コレッジ』 は、それぞれ独立自治の法人であり、日本でいう国立大学ではないので、18世紀に政府機関ができた、はるか以前からあって、いまは政府から助成金は受けているが、行政の支配をまったく受けていません。大学の教職員は公務員ではないので、行政の管轄には属さない。官僚支配を嫌い、自主性を尊重するイギリス伝統の組織であります。たとえば、ケンブリッジ大学では31あるコレッジごとに所有する資産の規模と内容には差異がありますが、最も富裕なコレッジの 『トリニティー』 では、60マイル離れたロンドンまで、他人の土地を踏むことなく行くことができた、といわれていたほどであります。手厚い教育ができるわけです。

 マーガレット・サッチャーは、政権末期の1988年に、重大な誤りをおかしました。それは、教育改革についてです。それまで、英国には大学が45しかなく、在学生も約26万人で、大学では授業料と寮費は無料だった。

 イギリスでは、大学は本当に学問をしたい者か高度な専門知識・技術を得るための教育機関で、一流企業や官庁に就職するための教育機関ではなかった。

  したがって、将来、国家のために役立つ者を育成するということで、教育費は国家が負担し、サッチャー政権になるまでは、その上に、生活補助の助成金まで与えていたのです。

   ところが、サッチャー首相は、日本の高度成長をみて、高等教育が充実しているせいだとして、これを見習って、従来の高等専門学校を、すべて大学に昇格してしまったのです。その結果、イギリスには、大学が45から165ほどになって、それまでのように、授業料を国家が負担できるはずもなく、現在、在学生は、年間 9千~1万2千ポンド (現行13万5千円~18万円) も負担しなくてはならなくなり、大きな社会問題になっています。

 その上、大学の質と学力レベルが著しく低下してしまった。 
 イギリス社会でよく聞く言葉に 『ノブレス オブリージ (nobles oblige) 』 があります。高い身分や富裕で良い教育を受けて、社会で優位に立つものに課せられた道義上の義務という意味です。それは、イギリスの上層階級に古くから浸透しているボランティア活動の根源で、人々は機会があれば慈善事業に参加したり、積極的に社会奉仕に寄与する。貧しい家の優秀で勤勉な子どもに突然、見知らぬ個人から教育費が贈られるという、信じられないことが、いまでも実際に起きています。

  これが 『パブリック・スクール精神』 となって現れる。ふだん、この上なく恵まれた環境で、いわば特権を享受している学生たちは、国難のときには、特権の享受と国家への忠誠と責務をパッケージにして、身を賭して尽くす。 『フェアプレイの精神』 とともに、パブリック・スクール教育では、スポーツや軍事教練などを通じ、厳しく叩き込まれます。

 それでは、イギリスでは、どうのように 「リーダー作り」 「人作り」 が行われているのでしょう。

  敗戦後すでに68年、わが国は、色々な “ツケ” を支払わされておりますが、なかでも一番大きなツケのひとつが教育問題でしょう。

  戦後、マッカーサー元帥の極めて巧みな方法によって、GHQから一方的に押し付けられた占領政策は、 「教育改革」 においても、マッカーサーの思惑通り、まさに功を奏したと言えましょう。

  現在、ほとんどの社会問題の原因になっている、わが国の教育制度をかえりみますとき、画一的な一律教育、偏差値など一元化にこだわる評価基準、学問とは全く関係のない皮相で、上っ面な学歴偏重、悪平等といえるほどの公平な教育──そうです、残念ながら、まったく、マッカーサーが意図した通りになってきたのであります。

  「能力のある日本を再び暴走させない」 ための、いわばドングリの背比べ方式ともいうべき、平均値を求める教育制度が、見事に定着して、マッカーサーは墓の下で 「わが意を得たり」 とほくそ笑んでいることでしょう。

 敗戦直後、GHQの 「教育改革」 によって、明治の初め、イギリスの教育システムを手本にしてできた、戦争に負けるまえの日本の教育制度が、国を富ませ兵力を増強させた、 「富国強兵」 により戦争を推進し、かつ階級制度の温床だった、との理由で全廃されました。

  明治5年 (1872年) 学校制度頒布以来、50年にわたり何度か改良をかさねてきたイギリス方式の教育制度が、教育には全くの部外者であるアメリカの軍人の手で、慌しく一掃されてしまったのです。

  現在の英国の学校系統図が、戦前のわが国のものと、全くよく似ているのは驚くばかりです。個性、能力に従って、様々な選択肢があること 、『人作り』 や 『職能を身につける』 こと、教育の多様性・創造力の涵養に力点をおくのが、イギリスの教育システムの特徴です。

 ちなみに、同じ敗戦国のドイツでは、戦争末期には国中が戦場となり、日本よりもっと悲惨な状態にあったドイツでは、アメリカ軍の 「教育改革」 の強制を巧みにはねつけ、占領期間が終結するやいなや、アメリカの各種の教育規制を、いちはやく撤廃しました。

  日本だけが、GHQの占領政策に、権威に屈していわれるまま、唯々諾々として従い、おまけに、その上に偏差値制度などを導入、さらに教育の画一化・一律教育を推進して、記憶力だけにたより入学試験技術だけを磨くことにより有名大学への進学過当競争に拍車をかけ、個性・創造力の涵養や情操教育をないがしろにして、「悪平等」にさらに上塗りをしてきました。

  驚いたことには、このマッカーサーの占領政策、すなわち植民地政策に、文部省も日教組も、上乗りして、子どもたちを洗脳し、大切な牙まで抜いてしまい、自助自立心が欠如した、礼儀作法もしらない、大人しい羊の群れに育てあげてきたというわけです。

 英国と比較して、いま、わが国の教育制度と社会システム上、大きな問題点が、ふたつあります。

   ひとつは 、『全人教育、いわゆる人格・情操を磨く教育が欠如している』  という問題。 もうひとつは、 『リーダー作り』  あるいは  『人材作り』  がなされていないという問題、この2点であります。

  英国の義務教育年限は、11年です……初等教育は、5歳からはじまり6年間、さらに中等教育が5年、計11年。その上に、2年間の進学準備期間があり、自分が本当に学びたい専門科目を選択して、中等教育の仕上げをします。続いて、戦前の日本の学校制度と同じですが、高等教育、高等専門学校や各種大学の通常課程が、3年から4年あります。

  子どもたちの個性・能力・家庭環境・境遇によって、多方面、多岐にわたって選択肢、選ぶ方向があるのです。教育の機会均等・自由平等・民主主義の、アメリカ方式といわれた、いわゆる6・3・3制の一律教育システムと比べてみてください。

  日本でも明治・大正初期生まれの親たちの子育ては、躾も家庭教育も基本に忠実であり、いわば、オーソドックスな子育てに徹していました。

  人間の人格の基礎は、幼稚園年齢のころまで、家庭を中心に形成されます。
「ひとの心を大切にする」 「ひとを正しく遇する」 「他人の痛みがわかる」 「家族や友を思いやる」 「自分で考えることができる」 「人の道に外れないように最低限の約束は守る」 「嘘はつかない」 「ありがとう。ごめんなさい。が必ずいえる」 「友と物を大事にする」 「我慢をする」 「苦しさに耐える」。

 これらは、どれもみんな簡単なことばかりですが、乳幼児・幼児期のころから、溺愛ではない、しっかりコントロールできた愛情に裏づけされた厳しい躾で、ひとつひとつ自覚させながら、いわば、皮膚から身につけさせることばかりです。

 また、これらが、家庭教育に引き続いて、戦前の学校教育の低学年では 『修身』 の時間に仕上げをする、社会道徳の基準だったのです。

 この育児・躾の方法は、どの国の親にも共通するものです。いまでも、イギリスのしっかりした家庭の親たちは、そのよな子育てを続けております。 


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2013-08-08 15:33 | カテゴリ:日英文化比較
>>第1回から読む

イギリスの階級制度を説明するには、次の二つのことをあげると好都合です。

  まず、ひとつは、イギリスというと、日本では多くの人が、きまって口にすることがあります。 「イギリスは食事が不味いだろう」 です。そして、もうひとつは先週、38歳で引退を表明しました長年サッカー界の寵児でありましたデイビッド・ベッカムについてです。ご記憶でしょうか? 10年ほどまえ2002年に日本で開催されたサッカーのワールド・カップ以来、日本でも有名になったデイビッド・ベッカム選手が、当時、日本では  “貴公子” と、モテはやされました。

  この二つのことがが、実は、イギリスのクラス・システム、階級制度を説明するのには、お誂え向きでなのであります。

 「イギリスには、まだ “階級制度” が残っている」というと、大方の人は 「いやな国だね」 と言います。すぐに差別だとか、不平等だとか、話が難しい方向へすすんで、ひどく不愉快になる向きもいます。

 けれども、イギリスの社会に溶け込んで生活していくためには、このややこしくて、複雑なクラスシ・ステムの理解なくしては、住むことができないのです。

  おしなべてヨーロッパは今でも階級社会といえます。が、とりわけ階級色が強いフランスや、スペイン、イタリーと比べ、イギリスでは、だいぶ事情が異なるようです。もともとイギリスでは、1760年代に世界で最初の産業革命が始まり、沢山の工場労働者を生みだしてから、はっきりした階級制度ができあがって今日にいたっています。

 とりわけ日本人──敗戦後、日本を占領した連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥によってもたらされたアメリカの均質均等の社会、いわば、「どんぐりの背くらべ」 の社会で育ったわれわれには、この英国のクラス・システムを理解するのは、そう簡単なことではありません。

 日本では、階級制度のイメージというと、一般的に、かたや極貧にあえぐ下層階級、かたや優雅に贅沢のかぎりを尽くしている貴族などの上層の支配階級というふうに、深刻な社会問題の図式が浮かぶ。まさに、ミュージカル “マイフェアレディー” の舞台で繰り広げられた世界であります。

 けれども、それは日本の社会でも同じこと、20世紀前半の頃までの時代の話といえます。ところが、 “個” あるいは “個性” を大切にし、「他人と違うことに価値を置く」英国の市民社会では、今でも階級階層が違うと、それぞれ話す言葉も、日常生活の仕方や内容、食べ物の質や味にいたるまで、いわば、生活文化がはっきり異なるのであります。したがって、相手が話している言葉だけで、その人が生まれた地方、育った場所、家庭の暮らしむき、受けてきた教育、いままでたずさわってきた職業まで分かってしまうといわれています。

 逞しくシタタカなジョンブル魂に裏打ちされて、それぞれの階層がながい年月をかけて築きあげてきた、人真似ではない独自の文化と環境のなかで、おのおのが自信と誇りをもって生活をエンジョイしている結果です。

 したがって、戦後、日本で使われているアメリカ英語と、英国で話されている英語は、大きく違うのです。日本では、これを一様に “King’s English” といっておりますが、英国で話している言葉は、とても多様で、BBCのアナウンサーが喋っている言葉は、いわば standard English ではありますが、実際には、教養ある人々が喋っている言葉でもありません。 つまり、King’s English なるものは、とくに存在しないのです

 さきほどお話しましたサッカーのベッカム選手ですが、2002 年の当時、日本の女性ファンを熱狂的に魅了した人気者でした。日本ではテレビのコマーシャルでは引っ張りだこで、どの広告でも、二言、三言しゃべりましたが、ひどい “コクニー・アクセント” 、すなわち、ロンドンの東にある下町、ワーキング・クラスが住む地域の典型的な言葉が、 “コクニー・アクセント” です。 ミュージカルの “マイフェアレディ” の主人公のエライザが喋っていた強い下町訛りです。

 日本のメディアから “貴公子” とよばれても──ハンサムな貴族の子弟ではないことは、一目瞭然であります。これまで、ベッカム選手は巨額の報酬でスペインほか各国の一流チームにトレードされたスター・プレーヤーです。ロンドンの近郊にある城のような大きな館に住んでいますが、ベッカム選手も、アイドル歌手だった妻のヴィクトリアも、言葉も、身ぶりも、生活態度も、有名になる前と全く同じで、変えるつもりはありません。

 この国に長く住んでみてはじめて納得できたことですが、この誇り高い人びとの社会システムは、知れば知るほどフトコロが深い。英国に長く住んでいると、初めて会った人の顔をみて話をするだけで、その人の境遇やらバックグラウンドまでが、おおよそ、見当がつくようになるから、面白くて興味がつきません。

 誇り高いイギリスの人びとは、努力して成功し、生活レベルがあがり、居住環境がよくなっても、自分の過去や出身階層を隠そうとしたり、誤魔化したりしない。嘘がばれたときの不名誉が耐えられないとし、そんなバカげたことに不必要な精力や気を遣わないのです。逆に、成功した人々のなかには、自分の今は、Working Classの社会によって育てられたもので誇りに思う、などと語る人も多いのです。

 感心することには、イギリスの社会では、上層階級──王侯貴族や名門の “ジェントリー” とよばれる大地主など、いわゆる “アパー・クラス” 上流階級 (人口の約0.2%と、ざっと3万世帯とわずかですが ) と、それに続く “アパー・ミドル・クラス” 上層中流階級 (人口の約3% 約40万世帯) 、この二つ合わせて上層階級──とよびます。が、この人びとが、 “ワーキングクラス” 労働者階級など低い階層の人びとを、蔑んだり見下したりしない。一方、労働者階級に属しているといって自らを卑下したり、卑屈な態度をとる人も見かけません。クラスシステムといっても、昔のように、身分の上下を言うのではなく、いまでは単に生活文化や、生活態度、生活信条などの違いをいうのであります。

  実際には、イギリスの階級制度は、さらに細分化され、上流階級・中流階級・労働者階級が、それぞれ3階層に分割されて、合計9層あって、おのおのに特色があり、類別できるのです。

 英国の階級制度と比べ日本では、高度成長のあと、バブル経済を謳歌していた頃、 “国民総ミドルクラス” などといいました。均質均等の社会──「みんなで渡れば恐くない」 「高級ブランド嗜好・ひとまね」 などで象徴されるような、どこを切っても同じ顔がでてくる、いわば “金太郎飴” の生活文化であります。だから日本では、総ミドルクラスだと思っていることから、イギリスは、時代遅れの階級社会である、と一段低く見ることになったのです。

 イギリス人は、階級をこえて、生活信条として、明確な “個” あるいは “個性” をベースに、人それぞれが “comfortable” ──自分にいちばんあった 「居心地よさ」「気楽な満足」 「安らぎ」 を生涯にわたって大切にしているのです。このことは、イギリス人が “向上心がなく” “現状に満足して努力をしない” という日本的な発想とも異なる。それぞれが、自信を持って、自分の生き方にベストを尽くす、だから、いたずらに他人を羨んだり、ひと真似をしたり、ヤキモチをやくようなことがないのであります。

 日本の何事につけても、全国一律、みんなが一様に 「頑張って!」 「はい、頑張ります!」 という文化とは異なる。ですから、英語で “頑張る” という言葉にぴったりした訳語を見つけるのが難しい。辞書をひくと分かりますが…… “Do your best!” 「あなたのベストをつくせ!」 、すなわち努力するのも、人それぞれ様々なケース、ニュアンスがあるので、一括りにできないのです。

 このあたりの理由は、日本は農耕民族の子孫であり、イギリスは狩猟民族の子孫であったことに由来するともいえます。すなわち、農耕民族は、いわば、隣人のやっていることを真似をしていれば生きることができ、狩猟民族は、人と同じことをやっていたのでは食いはぐれてしまうのです。

  男女についても、狩猟民族は、より強い家系をつくるために、俺がわたしがと自己主張をし、自分の魅力を積極的に売り込まないと、すぐれた子孫を残すことができない。一方、農耕社会では、村落共同体で、人々の “和” が大切だったので、ひとと同じことをしていればよかったのです。

  このあたりに、日英の文化の差異があります。

 1997年にトニー・ブレアがひきいる新生労働党が政権をとってから、この階級システムに変化がおきました。若いニュー・リーダーが階級社会に挑戦したのです。若い世代の雇用機会の増設や、ベンチャー・ビジネスの環境作りを推進した。その結果、ITビジネスや、ベンチャー企業が盛んになり、若い世代の成功者たちが、何代にもわたって属していたワーキングクラスから抜け出し、ミドルクラスに移行したのです。

 1979年、マーガレット・サッチャーが政権をとったころ、国民全体の35% であった “ミドルクラス” が、ブレア政権の2期目に入った2001年には、50%をこえた ──過去100年間における最大の階級移動です。いま、ワーキングクラスは約40%あります。

 ところで、英国王室は歴史的に、国王の直系に王位継承者が途絶えると、血筋をたどって、ほかのヨーロッパ各国、とくにフランス・ドイツ・スペインの王族から国王を迎えました。

 さらに、国王と女王の配偶者のほとんどが、欧州の他の国から迎えいれた。そのたびに、貴族や従者、商人・職人など多くの人びととともに、大陸から文化が流入しました。食文化についても同様であります。

 だからイギリス料理とよばれるものの名をあげるのは難しい。あえてあげると、ローストビーフにベジタブルスープ、ヨークシャープディング。庶民の好きなフィッシュ・アンド・チップスなどがあります。けれどもローストビフーフといっても、単にオーブンで大きな牛肉の塊を焼くだけで、とりたてて英国の料理といえるものではなく、グレイビーが違ったり、ホースラディッシュやマスタードの使い方が多少異なるだけのことです。

 「イギリスでは食べ物が不味い」 と言う人には、美味いものを食べるためには、しかるべき 「場所」 と 「人」 を選ぶこと。階層により “食” の質と内容に天地ほどの差があることを知っておかなければなりません。

  あまり不味い不味いと言っていると、その人のイギリス滞在中の生活環境、すなわち、お里が知れるということになります──ことに、イギリスでは、日本からのパック旅行の観光客や、学者・留学生、中堅駐在員などには、一流の 「場」 で食事をする機会がまずない──フランスや、イタリーなどとは社会・文化の仕組みが異るのです。

 一方、英国の上層階級は、上等な食事で口は肥えています。けれども、たとえどんな不味いものを出されても、文句をいわずに黙って食べます。

 一般に北ヨーロッパの民族 (北欧、イギリス、ドイツ、スイス──副食に多量のジャガイモを食べる人びと) は、食べ物への執着心がうすい。 “人生は食べ物だけではない” との考えからです。

 しかしながら、南ヨーロッパ (南フランス、イタリー、スペインなど) の人びとは “food食べ物” と “drink 飲み物” が、人生最大の関心事です。食材も豊富で、どこで食べても美味いし、日本人の口にあう。 一流レストランは、もちろんのこと、片田舎の名もないヴィレッジの小さなレストランでも、けっして失望させられることがない。

 イギリスと違って、著しい格差や、当たりはずれがないのです。まさにクラスシステムの考え方の相違に根ざすものでありす。

 とくに、イギリスの上層階級は、大英帝国の最盛時、植民地の支配者として粗食に耐える習性が身についている。何世代にもわたってリーダー作りをしてきた全寮制の私立学校、パブリックスクールで、粗末な食事の厳しい訓練を受けてきたので、長期間、不味いものを食べさせられても、不服をいわない心構えができて、習慣になっているのです。

 ロンドンでも、コンノート・ホテルの最高水準の料理と雰囲気を誇るダイニングルームや、ハイド・パーク・ホテルにある “マルコ・ピエール” など、気軽に入れないレストランは、別としても、ケンジントン界隈には、ヴィクトリア時代からの由緒ある落ち着いた住宅街のコーナーなどには、洒落たレストランが数多くあります。

  どれもアングロ・フレンチやアングロ・イタリアンの味には定評があるものばかりです。これらは、付近の住民や常連の客が楽しむレストランで、トラベル・ガイドやレストラン・ガイドには出ていないものが多いのです。


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