Yukiko Ikebeとファンクラブ ブログ
カリスマFXトレーダー、池辺雪子先生と、先生を囲む「Yukiko Ikebeファンクラブ」メンバーによるブログです。
今回は、同一の銘柄を「売り又は買い後それを決済する」取引とはちがった
「さやとり(同一の銘柄でも限月の異なるものは対象となる)勉強」についてです。
FXが個人レベルで自由化されていなかった頃、証拠金取引の対象であった
のは信用取引きの可能な株式市場か商品市場でした。
当時の証券会社では株式の証拠金取引を行うには数千万以上の預かり資産を
求めておりましたので、比較的ハードルの低くかった商品取引の会社に口座を
作っておりました。
取り扱い商品には穀物・工業用産品や石油資源等ありましたが勤務していた
会社では原油とそれを分解する触媒など調べていましたので、金属材料として
白金やパラジウムに興味がありました。
これらの金属を或る比率で組合わせ、
性能的にも経済的にも優れた触媒を作ることは知られておりましたが、夫々の
価格の比との相関データをExcelで時系列的に分析しておりました。
そのうちこれらの商品は主な産出国が異なりさまざまの情勢により一方的に
片よったマーケットになるように思われたので、他の工業製品としてガソリン
と灯油の産出割合等を研究して為替が変動しても互いに相殺される「さやとり」
に注目し資産活用の一つとして勉強し取引をいたしました。
拍手ボタンでコメントしていただけます!ぜひボタンを押してみてくださいネ!!
「さやとり(同一の銘柄でも限月の異なるものは対象となる)勉強」についてです。
FXが個人レベルで自由化されていなかった頃、証拠金取引の対象であった
のは信用取引きの可能な株式市場か商品市場でした。
当時の証券会社では株式の証拠金取引を行うには数千万以上の預かり資産を
求めておりましたので、比較的ハードルの低くかった商品取引の会社に口座を
作っておりました。
取り扱い商品には穀物・工業用産品や石油資源等ありましたが勤務していた
会社では原油とそれを分解する触媒など調べていましたので、金属材料として
白金やパラジウムに興味がありました。
これらの金属を或る比率で組合わせ、
性能的にも経済的にも優れた触媒を作ることは知られておりましたが、夫々の
価格の比との相関データをExcelで時系列的に分析しておりました。
そのうちこれらの商品は主な産出国が異なりさまざまの情勢により一方的に
片よったマーケットになるように思われたので、他の工業製品としてガソリン
と灯油の産出割合等を研究して為替が変動しても互いに相殺される「さやとり」
に注目し資産活用の一つとして勉強し取引をいたしました。
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皆さんこんばんわ。
南條 孝です
今回は、株式の取引で一番儲かった時期、約2年間の話をします。
言っておきますが、現在FXでも儲けていますよ(笑)
ただし時系列でブログを書いていますので、なかなか、FXのことまでに書くことが沢山ありますので、お許しください。
どんな相場も全部、FXのトレードに通ずると思います。
さて、
これまでのブログに書いてきましたが、株のトレードでは、普段の取引(高い手数料を払っても)悪くてトントン、か少し利益でした。
たまに大当たりで「億」単位の利益をたたき出しました。
そんな経験から、南條が本格的に相場の勉強をしたらどうなるだろうと興味をもちました。
(それまでは本業が中心でしたから、20歳代の南條が40から50歳代の「おっさん」を使いこなすのに凄く苦労しました。お金を稼ぐのは本業でも才覚で、さほど苦労もしなくて随分儲けました。)
では、本題に入りましょう
まずは、書店に行って相場関係の本を片っ端からまとめ買いしました。
まず、目次を読み、興味のあるページだけ読みました。
良い本は少なくて、まず、林輝太郎のタイトルは忘れましたが相場のお勉強にはとても為になるで相場の基礎を勉強をしました。
相場の本は大体、目を通して、暫くして書店に行ったら、「三雲一夫」(ペンネーム)が目に飛び込んできました。
「運」です。
「運」「鈍」「根」の最高の「運」です。
「池辺雪子先生」に出逢ったのもT証券の大口の顧客のパーティで出逢ったのも、「運」です。
私がその縁で「池辺雪子ファン倶楽部」を雪子先生の了解を得て発起人代表で作りました。
「三雲一夫」先生の本を読んで、すぐ弟子になろうと思いました。
早速、出版社に電話して「三雲先生」に会う約束を取り付けました。
名古屋駅でお互い「三雲先生」の本を目印にして、お会いしました。そして、事務所へゆきました。
そこでお話をお聞きして、この先生の一番弟子になろうと決めました。
その後、「三雲先生」の講演会はすべて参加しました。
だんだん先生の信頼を得まして、一番弟子になりました。
三雲先生は全国組織を作って株の世界を牛耳ろうと考えていたようです。
三雲会には一部上場のオーナー社長達も何人かいました。
南條は先生のため、尽くして、一番弟子になりました。
組織は札幌、仙台、東京、名古屋、京都、大阪、博多などに先生の弟子たちが南條の指揮のもとポスティングや街頭で勧誘しました。
地方では皆、雑魚寝で三雲先生につくしました。
全て事務所は、南條の当時もっていた物件でした。
私の当時のトレードの基本は月足で、銘柄を選び、次に週足、日足もみるのです。
肝心なのは、、月足は手書きで書くこと、例えば,底であればW足を見つけて、場帳(終値と出来高)とつける、上昇中であれば
月足で見つけて週足、日足と場帳をつける、また、仕手の銘柄であれば、月足と場帳、出来高をつけるなど。。。
また、下ひげ、上ひげをとる方法も教わりました。
私のポジションは、常に80銘柄、一銘柄、100万株でした。
そんな銘柄数と買い株数ですと、最低2~3日、早くて毎日利食い(大出来高の翌日、一番で成行き売り)の繰り返し。
月の儲けは、6000万円/月で2年間続きましたから、一年で7億2000万円×2=14億4000万円ほど儲かりました。
お蔭で、銀座や、大阪の北新地(関西の銀座のクラブ)で飲みあるき、お金の切れがいいし領収書ももらわないから、とてももてました(笑)
朝、おきて顔を洗う時に歯ブラシをくわえた私を鏡で見ると心の底から笑えて来て歯を磨くより笑えてくる自分を見ていました。
また、株の時代が来ると思いますので、その時は私に連絡ください。
人柄の良い方には、ノウハウを教えます。
今後も私は、池辺先生との出会いの「運」で私も儲かるでしょう(笑)
次回は、ラリー・ウリアムズの弟子になって学んだ、オメガ社(フロリダ)のトレードステーションを使った
システム売買についてお話します。
また、ベンダーの仕事(データー配信と分析ソフトの販売)も東京都港区赤坂の会社で始めた経緯なども含めお話します。
拍手ボタンでコメントしていただけます!ぜひボタンを押してみてくださいネ!!
南條 孝です

今回は、株式の取引で一番儲かった時期、約2年間の話をします。
言っておきますが、現在FXでも儲けていますよ(笑)
ただし時系列でブログを書いていますので、なかなか、FXのことまでに書くことが沢山ありますので、お許しください。
どんな相場も全部、FXのトレードに通ずると思います。
さて、
これまでのブログに書いてきましたが、株のトレードでは、普段の取引(高い手数料を払っても)悪くてトントン、か少し利益でした。
たまに大当たりで「億」単位の利益をたたき出しました。
そんな経験から、南條が本格的に相場の勉強をしたらどうなるだろうと興味をもちました。
(それまでは本業が中心でしたから、20歳代の南條が40から50歳代の「おっさん」を使いこなすのに凄く苦労しました。お金を稼ぐのは本業でも才覚で、さほど苦労もしなくて随分儲けました。)
では、本題に入りましょう
まずは、書店に行って相場関係の本を片っ端からまとめ買いしました。
まず、目次を読み、興味のあるページだけ読みました。
良い本は少なくて、まず、林輝太郎のタイトルは忘れましたが相場のお勉強にはとても為になるで相場の基礎を勉強をしました。
相場の本は大体、目を通して、暫くして書店に行ったら、「三雲一夫」(ペンネーム)が目に飛び込んできました。
「運」です。
「運」「鈍」「根」の最高の「運」です。
「池辺雪子先生」に出逢ったのもT証券の大口の顧客のパーティで出逢ったのも、「運」です。
私がその縁で「池辺雪子ファン倶楽部」を雪子先生の了解を得て発起人代表で作りました。
「三雲一夫」先生の本を読んで、すぐ弟子になろうと思いました。
早速、出版社に電話して「三雲先生」に会う約束を取り付けました。
名古屋駅でお互い「三雲先生」の本を目印にして、お会いしました。そして、事務所へゆきました。
そこでお話をお聞きして、この先生の一番弟子になろうと決めました。
その後、「三雲先生」の講演会はすべて参加しました。
だんだん先生の信頼を得まして、一番弟子になりました。
三雲先生は全国組織を作って株の世界を牛耳ろうと考えていたようです。
三雲会には一部上場のオーナー社長達も何人かいました。
南條は先生のため、尽くして、一番弟子になりました。
組織は札幌、仙台、東京、名古屋、京都、大阪、博多などに先生の弟子たちが南條の指揮のもとポスティングや街頭で勧誘しました。
地方では皆、雑魚寝で三雲先生につくしました。
全て事務所は、南條の当時もっていた物件でした。
私の当時のトレードの基本は月足で、銘柄を選び、次に週足、日足もみるのです。
肝心なのは、、月足は手書きで書くこと、例えば,底であればW足を見つけて、場帳(終値と出来高)とつける、上昇中であれば
月足で見つけて週足、日足と場帳をつける、また、仕手の銘柄であれば、月足と場帳、出来高をつけるなど。。。
また、下ひげ、上ひげをとる方法も教わりました。
私のポジションは、常に80銘柄、一銘柄、100万株でした。
そんな銘柄数と買い株数ですと、最低2~3日、早くて毎日利食い(大出来高の翌日、一番で成行き売り)の繰り返し。
月の儲けは、6000万円/月で2年間続きましたから、一年で7億2000万円×2=14億4000万円ほど儲かりました。
お蔭で、銀座や、大阪の北新地(関西の銀座のクラブ)で飲みあるき、お金の切れがいいし領収書ももらわないから、とてももてました(笑)
朝、おきて顔を洗う時に歯ブラシをくわえた私を鏡で見ると心の底から笑えて来て歯を磨くより笑えてくる自分を見ていました。
また、株の時代が来ると思いますので、その時は私に連絡ください。
人柄の良い方には、ノウハウを教えます。
今後も私は、池辺先生との出会いの「運」で私も儲かるでしょう(笑)
次回は、ラリー・ウリアムズの弟子になって学んだ、オメガ社(フロリダ)のトレードステーションを使った
システム売買についてお話します。
また、ベンダーの仕事(データー配信と分析ソフトの販売)も東京都港区赤坂の会社で始めた経緯なども含めお話します。
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